相殺(そうさい)とは、お互いに持っている債権と債務を対当額だけ消滅させる法的手続きであり、現金の移動を行わずに債権回収を実現できる非常に強力な手段です。取引先からの入金が遅れている場合や、資金繰りを効率化したい場合において、相殺は経営を守るための重要なカードとなります。
しかし、単に「お互いに貸し借りがあるからチャラにしよう」と口頭で伝えるだけでは、法的に有効な相殺として認められないケースが多々あります。民法が定める厳格な成立要件(相殺適状)を満たし、証拠能力のある方法で通知を行い、さらに正しい会計処理とインボイス制度への対応を行わなければ、後々のトラブルや税務調査での指摘リスクを招く恐れがあります。
この記事では、企業法務と会計実務の両面に精通した専門家が、以下の3点を中心に、実務で即座に役立つ知識を徹底解説します。
- 「自働債権・受働債権」など、相殺に必要な4つの法的要件(相殺適状)の完全理解
- トラブルを未然に防ぐ「相殺通知書」の書き方と、そのまま使える実務用テンプレート
- 経理担当者必見!ケース別の相殺仕訳とインボイス制度下における領収書・消費税の対応
法律の専門用語にはわかりやすい解説を加え、経理処理については具体的な仕訳例を提示しています。この記事を読み終える頃には、相殺に関する不安が解消され、自信を持って実務を進められる状態になるでしょう。
相殺(そうさい)の基礎知識とビジネス上の3つのメリット
ビジネスの現場において、取引先との間で「売上」と「仕入」の両方が発生することは珍しくありません。このような状況で、それぞれの代金を銀行振込でやり取りするのは、手数料や手間の観点から非効率です。ここで活用されるのが「相殺」という手法です。まずは、相殺の基本的な定義、正しい読み方、そしてビジネスにおける具体的なメリットについて、基礎からしっかりと固めていきましょう。
相殺の意味と正しい読み方(「そうさつ」は誤り)
まず初めに、言葉の定義と読み方を確認します。「相殺」の正しい読み方は「そうさい」です。日常会話やビジネスシーンにおいて、稀に「そうさつ」と読まれることがありますが、これは誤りです。「殺」という漢字は「減らす」「削ぐ」という意味を持ちますが、法律用語や会計用語としては「そうさい」と読むのが唯一の正解です。会議や商談の場で誤った読み方をしてしまうと、基礎的な知識が欠けているという印象を与えかねないため、注意が必要です。
相殺とは、法的には「二人の者が互いに同種の目的を有する債務を負担する場合に、双方の債務の弁済期が到来したときは、各債務者は、その対当額について相殺によってその債務を免れることができる」という制度(民法第505条)を指します。簡単に言えば、「私があなたに100万円払う義務」と「あなたが私に100万円払う義務」を突き合わせて、互いに支払いを省略し、借金を消滅させる行為のことです。
この「帳消しにする」という行為は、単なる口約束ではなく、民法という法律に基づいた正当な債務消滅原因の一つです。弁済(お金を払うこと)と同じように、相殺を行うことで法的に借金がなくなったことになります。
相殺の仕組み:債権と債務を帳消しにする法的な効果
相殺の仕組みを視覚的にイメージしてみましょう。通常、A社がB社に商品を販売し(売掛金100万円)、同時にB社から材料を仕入れている(買掛金100万円)場合、原則通りであれば以下の2つの手続きが必要です。
- B社がA社に、売掛金100万円を振り込む。
- A社がB社に、買掛金100万円を振り込む。
しかし、相殺を行えば、これらの現金の移動は一切不要になります。A社が「相殺します」という意思表示を行うだけで、A社のB社に対する買掛金100万円と、B社のA社に対する売掛金100万円が、あたかも支払われたかのように消滅します。
もし金額が異なる場合、例えばA社の売掛金が100万円、買掛金が80万円だった場合はどうなるでしょうか。この場合、低い方の金額(80万円)である「対当額」の範囲で相殺が行われます。結果として、80万円分が消滅し、A社には20万円の売掛金だけが残ります。あとは、この差額の20万円だけを決済すればよいことになります。
このように、相殺は「現金を動かさずに決済を完了させる」という強力な効果を持っています。これは、実質的に「優先的に債権回収をした」のと同じ意味を持ちます。相手が倒産しそうな場合でも、相殺ができれば、他の債権者に先んじて自分の債権を回収(自分の債務を消滅させることで実質回収)できるため、企業防衛の観点からも極めて重要です。
ビジネスで相殺を行う3つのメリット(資金繰り改善・回収リスク回避・手間削減)
実務において相殺を積極的に活用すべき理由は、主に以下の3つのメリットがあるからです。
1. キャッシュフロー(資金繰り)の改善
通常の支払いは現金を伴いますが、相殺を行えば手元の資金を減らさずに債務を支払ったことになります。例えば、月末に多額の支払いがある場合、相殺によって支払い額を圧縮できれば、その分の現金を他の運転資金に回すことができます。資金繰りが厳しい局面において、キャッシュアウトを抑えられる点は経営上非常に大きな助けとなります。
2. 債権回収リスクの回避(担保的機能)
これが相殺の最大のメリットと言えます。取引先の経営状態が悪化し、倒産のリスクがある場合、普通に請求書を送っても入金される保証はありません。しかし、こちらが相手に対して支払うべき買掛金などを持っていれば、それを支払わずに相殺することで、実質的に債権を全額回収できたことになります。これを相殺の「担保的機能」と呼びます。他の債権者が配当を待っている間に、自分だけが100%回収できる可能性があるのです。
3. 事務手間の削減とコストダウン
相互に振込を行う場合、振込手続きの手間や振込手数料が発生します。相殺を行えば、振込件数が減り、手数料も節約できます。件数が少なければ微々たるものかもしれませんが、取引件数が多い企業にとっては、年間のコスト削減効果や経理担当者の作業時間短縮効果は無視できません。
企業法務・会計実務コンサルタントのアドバイス
「キャッシュフロー経営において、相殺は『攻め』と『守り』の両面を持つ優れたツールです。多くの経営者様が『手数料の節約』程度にしか考えていませんが、真価は『有事の際の資金防衛』にあります。平時から取引先ごとの債権・債務バランスを把握し、いざという時に即座に相殺通知を出せる準備をしておくことが、不測の事態から会社を守ることに繋がります。」
【図解】相殺ができる条件「相殺適状」の4要件とは?
相殺はいつでも自由にできるわけではありません。民法では、相殺が有効に成立するための条件として「相殺適状(そうさいてきじょう)」という概念を定めています。相殺適状とは、文字通り「相殺するのに適した状態」のことです。
もし、この要件を満たしていない状態で一方的に「相殺します」と通知しても、法律上は無効となり、後から「代金未払い」として訴えられるリスクがあります。ここでは、相殺適状を構成する4つの要件について、専門用語を噛み砕いて解説します。
要件1:2人が互いに同種の債権を有していること
相殺をするためには、お互いの債権が「同種」でなければなりません。ビジネス実務において最も一般的なのは「金銭債権」同士の相殺です。「あなたに対する売掛金(お金)」と「あなたへの買掛金(お金)」は、どちらも「お金」を目的とする債権なので、相殺が可能です。
一方で、「お金を貸している」のと「商品を納品してもらう権利」などは、目的物が異なるため相殺できません。「100万円の貸付金」と「100万円相当のダイヤモンドの引渡請求権」は相殺できないのです。ただし、双方が合意して契約で相殺することは可能ですが(相殺契約)、一方的な意思表示で行う法定相殺の場合は、必ず「同種の目的」である必要があります。
要件2:双方の債務が弁済期(支払期限)にあること
相殺を行う時点で、債務の支払期限が来ている必要があります。これを「弁済期(べんさいき)の到来」と呼びます。ただし、ここで注意が必要なのは、「自働債権(自分が持っている債権)」については必ず弁済期が到来していなければならないという点です。
相手に対して「金払え」と言える状態でなければ、それを支払いに充てることはできないからです。一方で、「受働債権(相手に対して負っている債務)」については、弁済期が到来していなくても、こちらが期限の利益(まだ払わなくていいという権利)を放棄すれば相殺が可能です。
- 自働債権(自分の権利):必ず期限が来ていること。
- 受働債権(自分の借金):期限が来ていれば当然OK。来ていなくても、自分が「早めに払います(相殺します)」と言えばOK。
要件3:債権の性質上、相殺が許されること
債権の中には、その性質上、相殺になじまないものがあります。例えば、「これから講演をする」という債務や、「特定の場所で演奏をする」といった債務は、金銭で解決できるものではないため、一方的に相殺することはできません。また、法律で具体的に「相殺してはならない」と定められているもの(後述する不法行為債権の一部など)も含まれます。
実務上の金銭債権同士であれば、この要件が問題になることは稀ですが、特殊な契約関係にある場合は注意が必要です。
要件4:相殺禁止の特約がないこと
当事者間で「お互いに相殺はしないことにしよう」という合意(特約)がある場合、相殺はできません。これを「相殺禁止特約」といいます。契約自由の原則に基づき、当事者の意思が尊重されるためです。
ただし、この特約があっても、善意の第三者(特約があることを知らずに債権を譲り受けた人など)に対しては、相殺禁止を主張できない場合があります。実務的には、取引基本契約書を締結する際に、この条項が入っているかどうかを確認することが極めて重要です。
企業法務・会計実務コンサルタントのアドバイス
「契約書のリーガルチェックを行う際、多くの企業が見落としがちなのが『相殺禁止特約』です。大手企業との取引約款には、一方的に『乙(下請け)からの相殺は禁止する』といった条項が含まれていることがあります。これに同意してしまうと、万が一相手が経営危機に陥った際に、相殺による回収という最強の手段を封じられることになります。契約締結前には必ずこの条項の有無を確認し、可能であれば削除を求める交渉を行うべきです。」
どっちがどっち?「自働債権」と「受働債権」の違いを完全攻略
相殺の実務において、最も混乱しやすく、かつ絶対に間違えてはいけないのが「自働債権(じどうさいけん)」と「受働債権(じゅどうさいけん)」の区別です。この2つを取り違えると、法的な効力発生時期や、相殺が禁止されるケースの判断を誤ることになります。ここでは、誰でも直感的に理解できるよう、徹底的にわかりやすく解説します。
自働債権とは:「自分から」相殺を仕掛ける側の債権
自働債権とは、相殺をしようとする人が、相手に対して持っている債権のことです。「自分から働きかける債権」と覚えましょう。
例えば、あなたが取引先に「相殺通知書」を送る場合、あなたが持っている「売掛金」が自働債権になります。「この売掛金を使って、私の借金をチャラにします」と宣言するための武器となる債権です。
受働債権とは:「受け身」で相殺される側の債権
受働債権とは、相殺をされる人が、相殺をする人に対して持っている債権のことです。言い換えれば、相殺をする人にとっては「自分の債務(借金)」にあたります。「受け身で消滅させられる債権」と覚えましょう。
あなたが相殺通知書を送る場合、あなたが支払わなければならない「買掛金」が受働債権になります。相手から見れば債権ですが、あなたから見れば債務です。
以下の表で、視点の違いを整理します。
| 用語 | 意味(通知を出す側から見て) | 役割 | 覚え方のイメージ |
|---|---|---|---|
| 自働債権 | 相手に対する債権(売掛金など) | 相殺の「武器」として使う | 自分から働きかける債権 |
| 受働債権 | 相手に対する債務(買掛金など) | 相殺の「対象」として消す | 受け身で働きかけられる債権 |
なぜ区別が重要なのか?(時効や差押え時の対抗要件に関わるため)
「どっちも消えるんだから同じでは?」と思われるかもしれませんが、法律上は明確に区別されます。特に重要なのが以下の2点です。
- 時効との関係:
自働債権が時効にかかって消滅してしまった場合でも、「時効完成前に相殺適状(相殺できる状態)になっていた」のであれば、その債権を使って相殺することが認められています(民法508条)。つまり、古い売掛金でも相殺の武器として使える可能性があります。 - 不法行為や差押えとの関係:
後述するように、「不法行為によって生じた債権」などは、それを「受働債権」として相殺することが禁止されています。自分が加害者である場合に、被害者に対する損害賠償義務(受働債権)を、自分の持っている貸付金(自働債権)と相殺して帳消しにすることは許されないのです。
▼【補足】不法行為による債権と相殺の制限(民法改正のポイント)
かつては不法行為に基づく債権は一律に相殺禁止(受働債権とする場合)とされていましたが、2020年の民法改正により、ルールが細分化されました。
現在は、以下の2つのケースにおいてのみ、加害者側からの相殺が禁止されています。
- 悪意による不法行為に基づく損害賠償債務:他人を殴って怪我をさせた場合や、詐欺で金銭を奪った場合など、積極的に害意を持って行った行為。
- 人の生命または身体の侵害による損害賠償債務:交通事故(過失)であっても、被害者の怪我や死亡に対する賠償義務については、被害者の生活保障の観点から、加害者側からの相殺による消滅は認められません。
逆に言えば、これらに該当しない不法行為(単なる物損事故や過失による財産的損害など)であれば、相殺が可能になっています。
法律上「相殺できない」ケースとは?禁止事由のチェックリスト
相殺は強力な手段である反面、弱者の保護や社会的な公平性を保つために、法律で「相殺してはいけない」と禁止されているケースがあります。これを知らずに相殺通知を送っても無効となり、逆に契約違反や不法行為を問われる可能性があります。以下のチェックリストで、自分のケースが該当しないか確認してください。
悪意による不法行為に基づく損害賠償債務を受働債権とする場合
前述の通り、悪意(他人を害する意図)を持って行った不法行為によって生じた損害賠償債務を、加害者が自ら持っている債権と相殺することはできません。例えば、横領した社員が会社に対して「未払い給与があるから、横領金の返済と相殺する」と主張することは許されません。これは、不法行為の誘発を防ぎ、被害者に現実に弁済を受けさせるためです。
差押え禁止債権(給料や年金など)を受働債権とする場合
法律上、差押えが禁止されている債権を「受働債権」として相殺することはできません。代表的なものが賃金(給料)です。会社が従業員に対して貸付金を持っていたとしても、従業員の同意なしに一方的に給料から天引き(相殺)することは、労働基準法第24条(賃金全額払いの原則)により禁止されています。
支払の差止めを受けた債権(差押えられた債権)を自働債権とする場合
第三者から差押えを受けた債権を、後から取得して自働債権として相殺することは原則としてできません。ただし、差押え前に取得していた債権であれば、差押えを受けた後でも相殺を主張(対抗)することができます。この「差押えと相殺の優劣」は非常に専門的な判断が必要ですが、基本的には「差押えの通知が来る前に、自分も相手に債権を持っていたか」が勝負の分かれ目となります。
当事者間で「相殺禁止」の合意がある場合
相殺適状の要件でも触れましたが、契約書で相殺が禁止されている場合は、原則として相殺できません。ただし、相手方が支払停止や破産手続開始の申立てを行った場合など、信用不安が生じた際には、特約にかかわらず相殺できるとする「期限の利益喪失条項」や「特約の排除条項」が併せて規定されていることが一般的です。
企業法務・会計実務コンサルタントのアドバイス
「従業員への貸付金や社宅費を給与から天引きするケースは実務でよくありますが、これは厳密には『相殺』にあたります。労働基準法違反を避けるためには、必ず『賃金控除に関する労使協定』を締結した上で、個別の従業員からも『相殺に同意する』旨の書面(同意書)を取得しておく必要があります。一方的な天引きは違法となるリスクが高いため、実務担当者は十分注意してください。」
実践!相殺の手続きと「相殺通知書」の書き方【雛形あり】
ここからは、実際に相殺を行うための具体的な手続きについて解説します。相殺は法的には「意思表示」だけで成立しますが、ビジネス実務では「証拠を残す」ことが何より重要です。
相殺は「意思表示」だけで成立する(相手の承諾は原則不要)
民法上、相殺は一方的な意思表示によって効力が生じます。つまり、相手に対して「相殺します」と伝えれば、相手が「嫌だ」と言っても、要件(相殺適状)さえ満たしていれば強制的に成立します。契約解除や相殺は「形成権」と呼ばれ、権利者の意思だけで法律関係を変動させることができる強力な権利なのです。
したがって、相手にお伺いを立てる必要はありません。むしろ、相手の経営状況が危ない時に悠長に交渉していては、他の債権者に回収されてしまう恐れがあります。
なぜ「内容証明郵便」で通知すべきなのか?(証拠保全の重要性)
口頭や普通郵便、メールでも相殺の意思表示は有効ですが、実務では必ず「配達証明付き内容証明郵便」を使用すべきです。理由は以下の2点です。
- 「いつ」相殺したかを確定するため:
相殺の効果は、意思表示が相手に到達した時に発生します(遡及効により相殺適状時に遡りますが、通知の事実は重要です)。倒産手続き開始の直前など、ギリギリのタイミングでの相殺では、数時間の差が命取りになることがあります。 - 「相殺した」という事実を証明するため:
後になって相手管財人や他の債権者から「そんな通知は届いていない」「相殺は無効だ」と主張された際、公的な証明力がなければ対抗できません。
そのまま使える!相殺通知書の文例と記載すべき5つの項目
相殺通知書には、複雑な時候の挨拶などは不要です。以下の5つの要素を明確に記載します。
- 当事者の特定:誰から誰への通知か。
- 自働債権の特定:相殺に使う自分の債権(種類、発生日、金額、弁済期)。
- 受働債権の特定:消滅させる相手の債権(種類、発生日、金額、弁済期)。
- 相殺の意思表示:「対当額にて相殺する」という宣言。
- 日付と署名捺印:通知日と会社名、代表者名。
▼相殺通知書のテンプレート(テキストコピー用)
通知書
令和〇年〇月〇日
〇〇株式会社
代表取締役 〇〇 〇〇 殿
東京都〇〇区〇〇町1-1-1
株式会社〇〇
代表取締役 〇〇 〇〇 印
冠省
当社は、貴社に対し、以下の債権(以下「自働債権」といいます)を有しております。
【自働債権の表示】
1. 債権の種類:売掛金
2. 発生日(請求書日付):令和〇年〇月〇日
3. 金額:金1,000,000円
4. 弁済期:令和〇年〇月〇日
一方で、貴社は、当社に対し、以下の債権(以下「受働債権」といいます)を有しております。
【受働債権の表示】
1. 債権の種類:買掛金
2. 発生日(請求書日付):令和〇年〇月〇日
3. 金額:金1,000,000円
4. 弁済期:令和〇年〇月〇日
つきましては、民法第505条に基づき、本通知到達をもって、上記自働債権と受働債権を対当額にて相殺いたします。
なお、本相殺により、当社と貴社間の上記債権債務はすべて消滅いたしましたので、ご確認のほどお願い申し上げます。
草々
相手から相殺を申し込まれた場合の対応と確認事項
逆に、取引先から相殺通知書が届いた場合は、以下の点を確認します。
- 記載されている債権・債務の金額に間違いがないか。
- 自社の帳簿と照合し、確かに債務が消滅しているか。
内容に問題がなければ、特に返信をする義務はありませんが、経理処理上の行き違いを防ぐため、「相殺の通知を受領し、処理いたしました」という確認書を送るか、メールで一報を入れると親切であり、トラブル防止になります。
企業法務・会計実務コンサルタントのアドバイス
「過去に、電話口で『じゃあ今回の支払いは前回の貸付と相殺でいいよ』と軽く済ませた結果、数年後に担当者が変わり、『あの時の売掛金がまだ未入金になっています』と請求書が届いたトラブル事例がありました。言った言わないの水掛け論は、ビジネスにおいて最も避けるべき事態です。どんなに親しい間柄でも、相殺を行う際は必ず書面(最低でもメール、できれば通知書や合意書)を残すことを強く推奨します。」
【経理実務】相殺処理の仕訳方法と勘定科目
法的な手続きが完了したら、次は会計処理です。相殺はお金の動きがないため、通帳には記録が残りません。そのため、振替伝票を使って正しく仕訳を切る必要があります。ここでは、経理担当者が迷いやすいパターン別に仕訳方法を解説します。
売掛金と買掛金を相殺する場合の基本仕訳
最も基本的な、同額の売掛金と買掛金を相殺するケースです。
例:A社に対する売掛金10万円と、A社への買掛金10万円を相殺した。
| 借方科目 | 金額 | 貸方科目 | 金額 | 摘要 |
|---|---|---|---|---|
| 買掛金 | 100,000 | 売掛金 | 100,000 | A社相殺 |
借方に負債の減少(買掛金)、貸方に資産の減少(売掛金)を計上します。これにより、両方の残高が消滅します。
金額が一致しない(差額がある)場合の仕訳と振込処理
金額が異なる場合は、少ない方の金額(対当額)で相殺し、差額を普通預金などで決済します。
例:売掛金10万円と、買掛金15万円を相殺し、差額5万円を振り込んだ。
| 借方科目 | 金額 | 貸方科目 | 金額 | 摘要 |
|---|---|---|---|---|
| 買掛金 | 100,000 | 売掛金 | 100,000 | A社相殺 |
| 買掛金 | 50,000 | 普通預金 | 50,000 | A社振込 |
または、これらを一つの複合仕訳にまとめても構いません。
| 借方科目 | 金額 | 貸方科目 | 金額 | 摘要 |
|---|---|---|---|---|
| 買掛金 | 150,000 | 売掛金 | 100,000 | A社相殺・振込 |
| 普通預金 | 50,000 |
3社間相殺(三角相殺)の仕訳と注意点
親会社・子会社間や、グループ企業間などで「A社はB社に債権があり、B社はC社に債権があり、C社はA社に債権がある」といった場合、3者間で合意をして相殺を行うことがあります。これを「3社間相殺(多角相殺)」といいます。
3社間相殺は、法的には「債権譲渡」や「債務引受」を組み合わせた契約となります。法定相殺(一方的な通知)ではできず、必ず3社全員の合意書が必要です。
仕訳例(A社の立場):B社への売掛金100を消し、C社への買掛金100を消す場合
| 借方科目 | 金額 | 貸方科目 | 金額 | 摘要 |
|---|---|---|---|---|
| 買掛金(C社) | 100 | 売掛金(B社) | 100 | 3社間相殺 |
摘要欄には必ず「3社間相殺合意に基づく」旨を記載し、証憑として合意書を保存します。
手数料を相殺する場合(振込手数料の負担区分)
「振込手数料を差し引いて振り込む(手数料分を相殺する)」ケースも実務では頻繁にあります。
例:買掛金10,000円を支払う際、先方負担の手数料500円を差し引いて9,500円を振り込んだ。
| 借方科目 | 金額 | 貸方科目 | 金額 | 摘要 |
|---|---|---|---|---|
| 買掛金 | 10,000 | 普通預金 | 9,500 | 振込 |
| 受取手数料 (または雑収入) |
500 | 手数料相殺 |
※自社が負担すべき手数料を支払った場合は「支払手数料」ですが、相手負担分を差し引いた(立て替えたとみなす)場合は、実務上は値引きに近い処理や、相手への債権との相殺として処理します。消費税区分に注意してください。
インボイス制度対応!相殺時の領収書と消費税の取り扱い
2023年10月から開始されたインボイス制度(適格請求書等保存方式)により、相殺の処理においても新たな注意点が生じています。「相殺にお金は動かないけれど、領収書は必要なの?」「インボイスはどう保存すればいいの?」という疑問に答えます。
相殺に領収書は必要か?(原則不要だが証明書類は必要)
結論から言うと、相殺取引において領収書の発行は必須ではありません。領収書はあくまで「金銭の受領」を証明する書類であり、相殺では現金の授受がないためです。
しかし、お互いの債務が消滅したことを証明する書類は必要です。それが前述した「相殺通知書」や、両社で取り交わす「相殺計算書」「相殺合意書」となります。税務調査においても、これらの書類が「決済が完了した証拠」として扱われます。
インボイス制度下での相殺:適格請求書の交付と保存義務
インボイス制度では、仕入税額控除を受けるために「適格請求書(インボイス)」の保存が義務付けられています。相殺を行ったからといって、この義務が免除されるわけではありません。
重要なのは、「相殺計算書」自体がインボイスになるわけではないケースが多いという点です。通常は、以下の手順になります。
- 請求書のやり取り:通常通り、売り手から買い手へ「適格請求書(インボイス)」を発行・交付する。
- 決済手段としての相殺:その請求書の代金を、振込ではなく相殺で決済する。
つまり、相殺はあくまで「決済手段」に過ぎないため、元となる取引のインボイス(請求書や納品書)は、通常通り発行・保存しておく必要があります。相殺通知書や計算書は、あくまで「そのインボイスの代金がどう支払われたか」を示す補助的な書類という位置づけです。
ただし、相殺計算書にインボイスの必要事項(登録番号、税率ごとの消費税額など)を全て記載し、それをインボイスとして交付することも可能です(相互に交付し合う必要があります)。
「相殺領収書」を発行する場合の但し書きと印紙税(収入印紙)の要否
商習慣として、相殺であっても領収書を交換する場合があります。この時の領収書には注意が必要です。
- 但し書き:「相殺金として」や「上記金額、売掛金と相殺」と明記します。
- 収入印紙:原則として不要です。
印紙税法上の領収書(第17号文書)は「金銭または有価証券の受取書」を指します。相殺は金銭の受け取りがないため、但し書きに「相殺」と明記されていれば、たとえ金額が5万円以上であっても印紙税は課税されません。
ただし、一部を現金や振込で受け取り、残りを相殺した場合は、「現金で受け取った金額」が5万円以上であれば印紙が必要になります。相殺部分と現金部分の内訳を明確に記載することが節税のポイントです。
企業法務・会計実務コンサルタントのアドバイス
「インボイス制度開始後、税務調査では『請求書と入金消込の整合性』がより厳格に見られるようになります。相殺を行った場合、通帳に入金記録がないため、調査官から『この売掛金はどうやって回収したのか?』と質問されることが増えるでしょう。その際、即座に『この日付の相殺通知書で処理しました』と提示できるよう、相殺関係の書類は請求書とセットで、あるいは専用のファイルを作って整理・保存しておくことを強くお勧めします。」
相殺に関するよくある質問(FAQ)
最後に、実務現場で頻繁に寄せられる細かい疑問について、Q&A形式で回答します。
Q. 相手が倒産しそうなとき、支払期限前でも相殺できますか?(期限の利益喪失)
A. 原則として、相手の債務(受働債権)の期限が来ていないと相殺できませんが、相手が破産手続開始の申立てをした場合や、手形交換所の取引停止処分を受けた場合などは、法律や契約上の「期限の利益喪失事由」に該当します。この場合、相手は「期限まで待ってくれ」と言う権利を失うため、即座に相殺が可能になります。このタイミングを逃さないことが重要です。
Q. 過去に遡って相殺することはできますか?(相殺の遡及効)
A. はい、相殺の効果は、意思表示をした時点ではなく、「相殺適状(相殺できる状態)になった時」に遡って発生します(民法506条)。これを「遡及効(そきゅうこう)」といいます。これにより、相殺適状になった時点以降の利息や遅延損害金は発生しなかったことになります。
Q. クレジットカード決済とポイント利用は相殺にあたりますか?
A. 法的な厳密な意味での相殺とは少し異なりますが、経済的な効果としては類似しています。ポイント利用は「ポイントという債権を使って代金債務を免れる」行為であり、実質的な相殺と言えます。ただし、会計処理上は「値引き」として扱うか「雑収入」として扱うか、ポイントの性質によって処理が分かれます。
Q. 個人事業主でも相殺通知は内容証明にするべきですか?
A. はい、相手が法人であれ個人であれ、トラブル防止の観点からは内容証明郵便がベストです。特に金額が大きい場合や、相手との関係が悪化している場合は必須です。少額で継続的な取引がある相手であれば、メールや受領サイン付きの書面手渡しでも実務上は機能しますが、リスク管理としては書面重視をお勧めします。
まとめ:相殺は「要件確認」と「証拠残し」が成功のカギ
相殺は、資金を動かさずに債権を回収できる非常に有効な手段ですが、その効力を確実に発揮させるためには、正しい手順を踏む必要があります。最後に、今回の記事の要点をチェックリストとしてまとめました。相殺を実行する前の最終確認に活用してください。
- 要件チェック:お互いに同種の債権(金銭など)があり、自働債権の弁済期が到来しているか?
- 禁止事由チェック:契約書に「相殺禁止特約」がないか? 不法行為や給料債権ではないか?
- 通知の実践:「相殺通知書」を作成し、可能な限り内容証明郵便で送付したか?
- 経理処理:振替伝票で正しく仕訳を切り、摘要欄に相殺の旨を記載したか?
- インボイス対応:元となる適格請求書を保存し、相殺通知書と紐付けて保管しているか?
企業法務・会計実務コンサルタントのアドバイス
「『相殺』は、経理担当者や経営者が知っておくべき必須のビジネスリテラシーです。単なる事務処理としてではなく、会社の現金を守る『財務戦略』として捉えてください。今日から、取引先ごとの債権債務の状況を改めて見直し、『もしもの時に相殺できる先はどこか』を把握しておくことから始めてみましょう。その準備が、将来の危機から会社を救うことになるはずです。」
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